部下への指導が必要だと分かっている。しかし、いざ注意しようとすると言葉に詰まる。強く言えばハラスメントになりそうで不安。優しく伝えると、逆に伝わらない。そして、後から「もっときちんと伝えておけばよかった」と後悔する——。
このような“叱れない管理職”は、いま多くの企業で増えています。Job総研の「2023年 上司・部下の意識調査」(https://jobsoken.jp/info/20230123/)でも、部下を強めに叱った経験が「ほとんどない」と回答した上司は6割を超えるという結果が出ています。時代の変化、ハラスメントへの恐れ、価値観の多様化、リモートワークによる距離感の拡大——これらが複雑に絡み合い、「叱る」という行為そのものが高度なマネジメントスキルになりつつあります。
しかし同時に、部下側の調査を見ると、「適切なフィードバックをもらえないことで不安が増す」「上司が何を期待しているか分からない」という声が多く、叱らないことで組織の生産性が下がるケースも少なくありません。実際、部下が上司に相談できない背景については、関連コラムでも詳しくお伝えしていますので参照ください。

つまり、現代の管理職に求められているのは、「叱る/叱らない」の二択ではなく、関係性を壊さず成長を促伝え方の技なのです。
そこで本記事では、海外のマネジメント理論、心理学、国内外のデータを交えながら、新人管理職でも実践できる「叱れない」を脱却する具体的な技術を体系的に解説します。人事・経営者として管理職育成に関わる方にとっても、実務導入しやすい内容になっています。
なぜ新人管理職は「叱れない」のか
新人管理職が「叱る」ことに慎重になる背景には、単なる経験不足では語れない構造的な理由があります。ハラスメント防止の強化、価値観の多様化、世代間ギャップ、リモートワークによる距離感の変化など、職場環境そのものが以前とは大きく異なっています。
前述の Job総研「2023年 上司・部下の意識調査」をみても、叱る行為はかつてよりも心理的リスクが高いと感じられるようになりました。さらに、「叱ることで関係性が悪化するのではないか」「パワハラと受け取られるのでは」といった対人面での懸念が重なることで、管理職は“言うべきか迷う時間”が長くなる傾向にあります。
結果として、必要な指摘が先延ばしになり、チームの生産性に影響するケースも少なくありません。では、管理職たちは実際にどのような場面で“叱れない”と感じているのか。ここからはデータと心理面の両側面から、その実態を具体的にひも解いていきます。
数字で見る「叱れない上司」増加の現実
前述のJob総研の意識調査以外にも、20代・30代の上司において「部下を叱る基準が分からない」「どの程度強く言えばハラスメントにならないのか判断が難しい」という声は増加傾向にあるようです。これは、叱ること自体の捉え方が“スキル”から“リスク行為”へと変化していることを示しており、上司が慎重にならざるを得ない環境に陥っていると言えると言えます。
さらに近年は、従業員側にも「怒られた経験が少ない」「否定に対する抵抗感が高い」という世代特有の傾向が存在し、価値観のギャップを踏まえてコミュニケーションを行う必要性がますます高まっています。つまり、叱れない上司が増えているのは“個人の弱さ”ではなく、上司・部下双方の価値観と環境の変化によって生み出された組織的課題なのです。
では、データで見える現実を踏まえて、管理職自身の内側ではどのような心理が働いているのでしょうか。次は、叱れない背景に存在する“対立への恐れ”や“嫌われたくない心理”について掘り下げていきます。
対立回避や嫌われたくない心理
管理職が叱ることをためらう背景には、数字では測れない“心理的な壁”が存在します。その中心にあるのが、対立を避けたい気持ちと、相手から嫌われたくないという感情です。これは決して特殊な性質ではなく、人が集団で働く上でごく自然に生じる反応であり、心理学でもよく説明される現象です。
ネガティブなフィードバックを伝えるとき、人は無意識に次のような不安を抱えます。
- 「強く言えば、関係性が壊れるかもしれない」
- 「部下のやる気を失わせるのではないか」
- 「自分が攻撃的な上司だと思われるかもしれない」
- 「評価や評判にネガティブな影響が及ぶ可能性がある」
こうした不安はネガティブフィードバック回避(Negative Feedback Avoidance)と呼ばれ、誰もが自然に持っている心理的メカニズムです。とくに日本企業では、職場内での調和や関係性が重視される文化的背景もあり、対立につながりそうな行動は極力避けようとする傾向が強いことが知られています。
また、管理職は部下と日常的に働きながら評価も行う立場にあるため、指摘によって生まれる微妙な気まずさは、自分にも部下にもダメージを与えると感じやすくなります。特に若手管理職の場合、「上司としての権威性」よりも「同僚としての関係性」を優先しがちで、叱るべき場面でも”言わない方が楽”という選択を取りやすくなる傾向があります。
加えて、現代はパワハラへの社会的な視線が厳しくなり、「どこまで言っていいのか分からない」という不確実性が対立回避の心理をさらに強めています。言い方を誤れば処分の対象になる可能性があるため、管理職にとって叱る行為は“言うべきだけど、できれば避けたい”ものに変質しているのです。
このように、叱れない背景には、データでは測れない心理的な葛藤が強く影響しています。では、心理的な要因に加えて、「叱れない」ことと密接に関係する組織内の別の課題とは何でしょうか。次は相談されない上司の共通点について見ていきます。
「叱れない」と「相談されない」は同じ根っこを持つ
叱れない管理職の多くは、同時に「部下から相談されない」という悩みも抱えています。これは偶然ではなく、両者には共通する構造的な原因があります。実は、叱れないことと相談されないことは、同じ根っこから生じる組織内コミュニケーションの歪みなのです。
ちなみに部下が上司に相談しない理由については、関連コラムでも詳しく解説しています。

調査を含めて多くの研究で指摘されているのは、相談しない部下の多くが、
- 「否定されるのではないか」
- 「怒られるかもしれない」
- 「忙しそうで話しかけづらい」
- 「本音を言っても受け止めてもらえない気がする」
といった心理的安全性の欠如を感じていることです。
ここで注目すべきは、管理職側が叱れない理由も、ほぼ同じ構造を持っているという点です。具体的には、
- 怒ることで関係性が悪くなることを恐れている
- 相手にどう受け取られるか分からず不安
- ネガティブな反応が返ってきたときの心理的負担が大きい
- 言ったあとに生じる気まずさを避けたい
つまり、上司と部下は相手の反応への不安という共通の恐怖を抱えており、その結果として双方ともに踏み込んだコミュニケーションを避けてしまうのです。
この構造は、組織心理学で相互過小コミュニケーション(Mutual Under-Communication)と呼ばれ、相互に遠慮が蓄積されることで、必要な情報が上にも下にも流れにくくなる状態を指します。叱るべきことを言えず、相談するべきことも言えない——この悪循環は、やがてチームの意思決定の質やスピードに影響を与え、業績面でのリスクにもつながります。
さらに厄介なのは、この状態が続くと、上司は「必要な場面で叱れなかった自分」を責め、部下は「何を期待されているのか分からない」という不安を強めるため、双方の信頼関係がじわじわと損なわれていくことです。
したがって、叱れない問題を解決するためには、単に“言い方の技術”を磨くだけでは不十分です。重要なのは、日常のコミュニケーションの質を整え、心理的に安全なやり取りができる“土台そのもの”を再構築することなのです。
次の章では、その土台をつくりながら、叱る行為を「怒る」でも「甘やかす」でもない“第三の選択肢”として再定義していきます。
「叱る」を再定義する 〜怒ることでも甘やかすことでもない〜

叱れない管理職が増えている背景を見てきましたが、問題の本質は“叱る”という行為そのものに対する誤解にあります。多くの管理職は、「強く言えば萎縮させてしまう」「優しく言えば甘やかしになる」といった“二択のジレンマ”に陥りがちです。しかし、現代のマネジメントで求められているのは、そのどちらでもありません。
海外のリーダーシップ研究でも指摘されているように、叱る行為は本来、相手を責めたり感情をぶつけたりするものではなく、チームの成果を高めるために必要な行動修正や学習を促す「成長支援のコミュニケーション」です。つまり、叱るか甘やかすかではなく、第三の選択肢である「率直で、かつ相手を尊重する伝え方」を身につけることが重要になります。
さらに、叱ることの目的や意図が曖昧なままだと、管理職自身も迷いが生まれ、結果として必要なフィードバックを適切なタイミングで伝えられなくなってしまいます。反対に、「叱る=相手の成長を後押しする行為」という認識を持てば、伝え方の質は大きく改善します。
ここからは、現代のマネジメントにおいて“叱る”をどのように再定義すべきか、そしてそのために必要な基礎概念を、代表的な理論をもとに具体的に解説していきます。まずは、Google や Apple でも採用されたコミュニケーション理論「ラディカル・キャンダー」から見ていきましょう。
ラディカル・キャンダーが示す「優しさ × 率直さ」の二軸
叱ることが苦手な管理職にとって、最も理解しやすく実務に応用しやすい理論のひとつが、ラディカル・キャンダー(Radical Candor) です。これは Google や Apple で活躍したリーダー、Kim Scott 氏が提唱したコミュニケーション理論で、相手を尊重しながら率直に伝えるという現代マネジメントに必須の態度を明確に示しています。
ラディカル・キャンダーは以下の 2つの軸 で構成されます。
- Care Personally(個人として深く相手を気にかける)
- Challenge Directly(率直に課題を指摘する)
この “優しさ × 率直さ” のバランスが取れている状態が、「ラディカル・キャンダー=正しい叱り方」 とされます。
「優しさだけ」でも「厳しさだけ」でも機能しない理由
管理職が叱れない理由の多くは、優しさが過剰になりすぎる「有害な優しさ(Ruinous Empathy)」 に陥ることです。
これは以下のような状態を指します。
- 本当は伝えるべきことを伝えない
- 部下のためと思って指摘を控える
- 嫌われたくない気持ちが勝ってしまう
一見すると温かい態度のようですが、実は結果的に部下の学びや成長の機会を奪い、かえって本人を苦しめることになるため、有害とされています。
反対に、指摘だけが強く「率直だが攻撃的(Obnoxious Aggression)」 になってしまうケースもあります。これは、本人は“正しいことを言っているつもり”でも、相手が萎縮し、心理的安全性を損なってしまう典型的なパターンです。
ラディカル・キャンダーの重要な点は、どちらかを極端にするのではなく、両方を同時に満たすことが必要だという点です。
正しい叱り方は「率直さ」が先に必要
Kim Scott 氏は、叱るときに「率直さが先、優しさがその土台を支える」と説明しています。率直さがなければ、どれだけ優しくても本質的な改善が起きません。しかし、相手を気にかける姿勢(Care Personally)が明確であれば、強い指摘でも相手は「攻撃された」と感じにくくなります。
実際、部下の立場で考えてみても、
- 何も言ってくれない上司
- 機嫌によって態度が変わる上司
- 表面的に優しいだけの上司
よりも、
- 改善点を率直に、そして自分の成長を願って伝えてくれる上司
のほうが、信頼と安心感を感じやすいのは明らかです。
叱る目的が「相手をコントロールすること」ではなく、「相手の成長とチーム成果を高めること」である と伝えられていれば、多少厳しい指摘であっても部下は受け止めやすくなります。
ラディカル・キャンダーを実務に落とし込むコツ
管理職が日常の中でこの理論を活かすには、次の2点が重要です。
普段から相手への関心・承認を積み重ねる(Care Personally)
感謝を伝える、進捗を気にかける、小さな成功を認める。
これらの積み重ねが“指摘が響く土台”になる。
改善点は具体的に・早めに伝える(Challenge Directly)
不明確な表現や、“いつか”言おうとする先送りは逆効果。
早い段階で短く率直に伝える方が、部下は受け止めやすい。
これにより、叱る場面が訪れたとしても、関係性の摩耗を最小限に抑えながら必要な改善を促すことができるようになります。
このようにラディカル・キャンダーは、怒らず・甘やかさず・関係を損なわずに伝えるための非常に有効な枠組みとして、多くの組織で採用されています。
次は、この考え方と深くつながる 「自己決定理論(SDT)」 を活用し、叱られたときの部下のモチベーション低下を防ぐための視点を解説していきます。
自己決定理論(SDT)で見る“叱り方が動機づけに与える影響”
叱ると部下のやる気が下がる——これは多くの管理職が抱く不安ですが、心理学の代表的な理論である 自己決定理論(Self-Determination Theory:SDT) を踏まえると、実は「叱り方次第で、部下の内発的動機づけは高まる」ことが分かっています。

SDT(Ryan & Deci)は、人が健全にモチベーションを感じながら働くために必要な 3つの心理欲求 を提示しています。
- 自律性(Autonomy):自分で選択している感覚
- 有能感(Competence):できる・成長しているという実感
- 関係性(Relatedness):他者とのつながり・承認
この3つが満たされると、部下は自発的に行動し、満たされないと、抵抗・無気力・回避行動が強まりやすくなります。
叱ることで「やる気が下がる」と思われがちな理由
多くの叱責が失敗するのは、上記3つの欲求を“無意識に傷つけてしまうから” です。
典型例としては、
- 自律性を奪う: 「とにかく言われた通りにやれ」「なんで勝手に判断したんだ」
- 有能感を傷つける: 「こんな簡単なこともできないの?」「何度言えば分かる?」
- 関係性を損なう: “感情的な言い方” や “人格否定” に近い伝え方
このようなコミュニケーションでは、どれだけ正しい指摘でも、部下のモチベーションは確実に低下します。
逆に、正しい叱り方は3つの欲求を満たす
一方で、叱ることが 「行動改善」ではなく「成長支援」 として伝わると、
部下は “自分を伸ばしてくれる存在” として上司を捉え、モチベーションは高まります。
3要素を満たす叱り方のポイントは以下です。
- 指示ではなく、選択肢や意図を添えて説明する
- 「どう改善したい?」と本人の意見も聞く
- “押しつけ” ではなく “共に良くする姿勢” を示す
例:
×「明日から絶対こうして」
〇「明日からAとBのどちらの方法がやりやすそう?」
- 行動を指摘し、人格は否定しない
- 改善の具体策を添える
- “できている点” も併せて伝える(バランスが重要)
例:
〇「資料の構成は良かった。次は数字の根拠があると説得力が一段上がるよ」
- 叱る前段階で日頃の承認があるかどうかが決定的
- 本気で成長を願っていることを明確にする
- 責めるトーンではなく、落ち着いた姿勢で臨む
例:
〇「期待しているからこそ、今のうちに改善点を一緒に確認したい」
「叱るとモチベーションが下がる」は半分だけ正しい
管理職が避けがちな理由のひとつに、「叱る=やる気を失わせる行為」というイメージがあります。しかし、それは “誤った叱り方の場合のみ” です。
モチベーションは、「何を言うか」よりも 「どのように言うか」 によって決まります。とくに、中小企業やコンパクトなチームほど、叱り方が組織の雰囲気や人の成長スピードに直結します。
この点については、関連コラムで詳しく解説しています。

ラディカル・キャンダーとの相性が良い理由
前章で扱った ラディカル・キャンダー(優しさ × 率直さ) と SDT は、極めて親和性が高い理論です。
- 優しさ(Care Personally)は「関係性」を強化する
- 率直さ(Challenge Directly)は「有能感」を高める
- 選択の余地を残した伝え方は「自律性」を守る
つまり、ラディカル・キャンダーは SDT を自然に満たす 叱り方の型 とも言えます。SDTを満たした叱り方は、
部下個人のモチベーション向上だけでなく、チームの心理的安全性、挑戦意欲、成果創出に大きく影響します。
つまり、「叱り方改革」はメンバー個人の問題ではなく、組織の生産性を高めるためのマネジメント投資 なのです。
次は、SDTとも深くリンクする 「成長マインドセット」 を軸に、“叱る=能力の否定” という誤解を解き、“叱る=未来の可能性を広げる行為” へと変換する視点を解説します。
成長マインドセットとプロセス指摘の重要性
叱ることに慎重になる管理職の多くが抱えるもうひとつの誤解は、「叱る=能力の否定」になってしまうのではないか
という不安です。この思い込みが強くなるほど、本来必要な指導ができなくなり、結果的にチームの成長機会を奪ってしまいます。
ここで役に立つのが、スタンフォード大学のキャロル・ドゥエック教授が提唱した「成長マインドセット(Growth Mindset)」 の考え方です。
- Dweck, C. S. & Leggett, E. L. (1988). A social-cognitive approach to motivation and personality. Psychological Review, 95(2), 256–273.
- Dweck, C. S. (2006). Mindset: The New Psychology of Success. Random House.
同氏は、能力を「変わらないもの」と捉える 固定マインドセット と、能力を「努力と学習で伸びるもの」と捉える 成長マインドセット を対比させ、職場の成果や挑戦行動に大きな違いを生むことを示しています。
叱ることで“伸びる人”と“止まる人”の違い
成長マインドセットを持つ人は、叱られることを「自分の可能性が広がるフィードバック」と捉えやすく、固定マインドセットの人は、「自分の能力を否定された」と受け取りやすい傾向があります。
しかし、ここで重要なのは、受け取り方の違いだけでなく、上司の伝え方によって “育つ側のマインド” は変わるという点です。つまり、上司の叱り方が成長マインドセット的であるかどうかで、その部下の成長スピードも変わってくるわけです。
重要なのは「人」ではなく「プロセス」に言及すること
ドゥエック教授の研究でも強調されていますが、人は「能力そのもの」を否定されたと感じると、防衛反応が起きて学習が止まります。一方で「行動」「プロセス」「戦略」に焦点を当てたフィードバックは、成長を促進することが分かっています。
つまり、叱るときは人格ではなく、行動とプロセスに焦点を当てることが極めて重要になります。
例:
×「あなたは段取りが悪い」
〇「今回の準備では、手順AとBの順番が入れ替わっていた。次回は先にAを終えるとスムーズだよ」
これだけで、相手の受け取り方は劇的に変わります。
管理職が「結果」ではなく「成長のプロセス」を語る価値
職場ではつい “結果” に注目が集まりがちですが、結果は過去の産物であり変えられません。しかし、行動や戦略は、今日から改善できます。成長マインドセットの実践とは、「行動を語る上司が、成長する部下を育てる」ということでもあります。
これは、前章の自己決定理論(SDT)の
- 有能感(Competence)
- 自律性(Autonomy)
とも強い関連があります。行動やプロセスへのフィードバックは、部下の有能感を育み、「自分で改善できる余地がある」という自律性を支えるからです。
叱ることを“未来の話”に変えるだけで、関係性は良くなる
固定マインドセット的な伝え方は過去を責める傾向があります。しかし成長マインドセット的な叱り方は、未来を一緒に作る姿勢 を取ります。
例:
×「またミスしたね」
〇「今回のミスの原因は一緒に洗い出そう。次に同じ状況が来た時、どう乗り越えられそう?」
ここには「責める」ではなく「伴走する」というメッセージがあり、部下は安心して改善に向かう気持ちを持つようになります。
ラディカル・キャンダー × SDT × 成長マインドセットがそろうと、叱り方の“軸”ができる
ここまで紹介した理論はすべてつながっています。
- 【ラディカル・キャンダー】優しさ × 率直さ で叱る態度を整える
- 【SDT】叱り方がモチベーションに与える影響を理解し、自律性・有能感・関係性 を守る伝え方を選べる
- 【成長マインドセット】人格否定ではなく 行動・戦略・プロセス を語る視点が生まれる
この3つがそろうことで、叱るべき場面で揺れない“叱り方の軸”が確立され、管理職の迷いや不安が一気に減っていきます。
次の章では、これらの理論を 「すぐに使える伝え方の型(NVC・SBI・DESC)」 に落とし込み、新人管理職でも実践できる再現性の高い方法を紹介します。
新人管理職が身につけるべき「伝え方」フレーム

叱る行為を「怒り」でも「甘やかし」でもなく、相手の成長を後押しするコミュニケーションとして再定義できれば、管理職の迷いは大幅に減ります。しかし、理解できても実際に言葉にする場面では、どうしても感情や気まずさが邪魔をし、思い通りに伝えられないことが少なくありません。
こうした“理論と実践のあいだのギャップ”を埋めるために有効なのが、言うべきことを整理し、感情ではなく構造で伝えるための「フレーム(型)」です。人は感情が動くと論理性が低下するため、特に叱る場面では「どの順番で」「どの観点を」「どのレベルの具体性で」伝えるかが、メッセージの受け取り方を大きく左右します。
実際、多くの企業が管理職研修で用いている NVC(非暴力コミュニケーション)、SBIモデル、DESC法といったコミュニケーションフレームは、叱る・指導する・改善を促す場面で極めて高い再現性を発揮します。これらは「相手を尊重する」「事実と感情を分ける」「具体的な改善行動を提示する」など、前章で紹介したラディカル・キャンダーや自己決定理論とも一貫性が高く、実務で活用しやすいのが特徴です。
ここからは、管理職がどの場面でも迷わず使える3つの代表的フレームを取り上げ、叱る場面での実践方法と注意点を具体的に解説していきます。まずは、感情と事実を分けて伝えるための基盤となる NVC(非暴力コミュニケーション) から見ていきましょう。
NVC(非暴力コミュニケーション)の4ステップ
叱る場面で最も起きやすい失敗は、感情が先に立ってしまい、伝えたい本質が曖昧になることです。「なんでこんなことをしたの?」「どうしてできなかったの?」といった言葉は、ほぼ確実に部下の防衛反応を生み、改善につながりにくくなります。
そこで役に立つのが、心理学者マーシャル・ローゼンバーグが体系化したNVC(Nonviolent Communication:非暴力コミュニケーション)です。NVCは4つのシンプルなステップで構成され、叱る・注意する・改善を促す場面での再現性が非常に高いのが特徴です。
最初に伝えるべきは、評価ではなく“事実” です。
例:
×「最近やる気がないよね?」
〇「今日の13時のミーティングに5分遅れて参加していたね」
“事実だけ”を述べることで、相手の防衛反応を最小限に抑えられます。
ここで主観が入ると、部下は「攻撃された」と受け取り、話を聞く姿勢が閉じてしまいます。
次に、事実を受けて 自分がどう感じたか を端的に伝えます。感情を押しつけたり、怒りをぶつけることとは違い、「正直こう感じた」という“率直さ”が信頼につながります。
例:
〇「正直、少し心配になったよ」
〇「情報が共有されていなかったことで不安を感じた」
ここでのポイントは、「あなたのせいで~」 と責めるのではなく、「私は〜と感じた」 と主語を自分に置くことです。
の部分があるかどうかで、叱る場面の印象が劇的に変わります。部下に伝わるのは、「なぜその行動が問題なのか?」ではなく、「なぜ自分がそれを大事にしたいのか?」 です。
例:
〇「チーム全員が安心して動ける状態を大切にしたいと思っているから」
〇「顧客との信頼関係を守ることが、私たちの仕事の中核だから」
“価値”を明確にすることで、部下は指摘を“個人攻撃”ではなく、チームや仕事の大事な基準の話として受け止めやすくなります。
最後に、改善につながる 具体的な行動提案(リクエスト) を伝えます。
例:
〇「次回から、開始10分前に準備が整っているか確認してほしい」
〇「今日の案件について、顧客への報告を私と一緒に整理しよう」
特徴的なのは、NVCは「命令」ではなく “リクエスト(依頼)” で締める点です。これにより、被命令感を減らし、自律性(Self-Determination Theoryの要素)を守りながら改善を促せます。
NVCは叱る場面の“衝突”を最小化する
NVCの最大の価値は、感情に飲まれず、事実を軸にしながら、関係性を壊さずに改善を促せる点 にあります。叱られる側は、「自分が責められている」という認知が弱まり、「上司が大切にしている基準を理解し、自分もそこに向かう」という心理状態を作りやすくなります。
叱る行為がうまくいかない原因の多くは、
- 事実と評価が混ざる
- 感情が前面に出る
- 伝えたい価値が曖昧
- 行動が具体的でない
といった“構造上の問題”です。NVCはその構造を整える実践的なフレームとして、管理職の「叱る恐怖」を大きく軽減してくれます。
次は「短く・具体的に伝える」ための SBI モデルへ
NVCは相手の心理反応を整えるのに非常に効果的ですが、実務では「もっと短く、簡潔に伝えたい」場面も多くあります。
そこで次に解説するのが、状況(Situation) → 行動(Behavior) → 影響(Impact)の3要素だけで構成される SBIモデル です。長い説明をしなくても、本当に伝えるべきコア を数十秒で伝えられる強力なフレームとなります。
SBIモデル(ポイントを短く正確に伝える技術)
叱る・注意する・改善を促す場面で、管理職がよく直面する悩みのひとつが、「伝えたいことが長くなりすぎる」 という問題です。必要な指摘に感情や説明を重ねてしまうと、「結局どこが問題だったのか」「何を改善すべきなのか」が伝わりにくくなり、部下は混乱し、指導効果が薄れてしまいます。
そこで役に立つのが、Google、IDEO、複数の外資企業でも活用されているSBIモデル(Situation / Behavior / Impact) です。SBIはたった3つの要素で構成され、30〜60秒で重要なポイントを正確に伝えられるという圧倒的な実務性を持ちます。
いつ・どこで起こった出来事かを示す。誰が聞いても同じイメージを持てるように、具体的に・短く。
例:
〇「昨日のクライアントとのオンライン会議で」
問題となった行動を、評価ではなく “観察した事実” として伝える。
例:
〇「質問に対して返答が5秒ほど止まってしまったね」
×「反応が遅くて印象が悪かったよ」(評価・主観)
その行動が、成果・顧客・チームにどんな影響を与えたかを伝える。
例:
〇「先方が少し不安そうな表情をしていたように感じたよ」
SBIの最大の価値は、この“影響(Impact)”です。部下は「自分が責められた」と感じにくくなり、「なぜ指摘されたのか」が腹落ちしやすくなるため改善に直結します。
SBIは“短いフィードバック”に最適
NVCは「関係性を整えたい」「じっくり伝えたい」場面に適していますが、SBIは以下のような スピード重視の場面 に最適です。
- 朝会・終礼などの短時間フィードバック
- 忙しい管理職が即座に伝える必要がある場面
- 感情を交えず、事実ベースで伝えたいとき
- 新人や若手への“すぐ直せる”指摘
特に、叱ることに不慣れな管理職にとってSBIの 「構造化された伝え方」 は、感情に引っ張られずに冷静に話せるメリットが大きいと言えます。
SBIの実務例(60秒以内で伝える)
例:
「昨日のオンライン会議(Situation)で、質問を受けた際に回答まで少し間が空いたよね(Behavior)。その時、クライアントが不安そうにしていたのが気になったんだ(Impact)。次は事前に資料を再確認して、想定質問を整理しておこうか。」
この一連の流れは 30〜45秒で伝えられます。短くても必要な情報はすべて含まれており、長い説教にならずに改善を促せるのが SBI の強みです。
SBIに「具体策」を1つだけ添えると効果が倍増する
SBIの本体は「状況・行動・影響」ですが、実務ではその後に 「1つだけ改善策を添える」 と効果が格段に上がります。
例:
〇「次は回答準備を5分だけ早めにしておこう」
〇「次回は、僕に一度メモを共有しておいてくれる?」
“1つだけ”がポイントです。多いと受け取りにくく、少ないと改善がぼやけます。
SBIは「叱る」ではなく「間違いを正す高速フィードバック」
叱責というより、「誤差を早めに修正するためのフィードバック」として使うと最も効果を発揮します。
これは、前章の「自己決定理論(SDT)」「成長マインドセット」との相性も良く、人格否定がなく、行動ベースの建設的なコミュニケーション が可能になります。
SBIで短く具体的に伝える方法を押さえたら、次は 相手を尊重しつつ、必要な主張を伝える「DESC法」 が役立ちます。次章では、管理職が最も苦手とする「言いにくい指摘」を、どのように丁寧に、かつ確実に伝えるかを解説します。
DESC法(アサーティブな叱り方)
叱る場面で管理職が最も難しさを感じるのは、「相手を尊重しつつ、必要な主張をはっきり伝える」 というバランスです。遠慮すると伝わらず、強く言うと関係が悪化する——その中間にある“ちょうどよい叱り方”を実現するために有効なのが、アサーティブ・コミュニケーションの代表手法である DESC法 です。
DESCは Describe(事実) → Express(感情) → Specify(要望) → Consequences(結果)の4つで構成され、叱る場面を冷静に、かつ明確に進められる構造的な方法として世界中の企業研修で採用されています。
まずは 評価や感情を交えず、事実だけを伝える ところから始めます。ここで主観や断定が入ると、相手は「責められている」と感じ、防衛的な反応を示してしまいます。
例:
〇「今日の朝会で、プロジェクトの報告が抜けていたね」
※NVC・SBIと同じく、ここは“事実のみ”が鉄則です。
次に、事実に対して自分がどのように感じたのかを、冷静に・簡潔に伝えます。
これは「怒りをぶつける」のではなく、相手に想像の余地を与えず率直に伝える ことを目的としています。
例:
〇「正直、少し心配になったよ」
〇「準備が整っていないように見えて不安を感じた」
※“あなたのせいで〜”ではなく、“私は〜と感じた”という主語の置き方が大切です。
ここが DESC の核心です。叱る場面では「何をすれば改善になるのか」が曖昧になりがちですが、DESCでは 具体的・一貫性のある行動を提示します。
例:
〇「明日からは、開始10分前に必ずチェックを済ませた状態で参加してほしい」
〇「クライアント対応では、回答に迷ったら一度持ち帰ると言って構わないよ」
「もっとちゃんとして」や「気を付けて」のような曖昧な表現は、改善行動につながらないため避けましょう。
DESC法における「結果」は、脅しではなく前向きな未来の共有がポイントです。
例:
〇「そうしてもらえると、チーム全体が安心して仕事を進められると思う」
〇「その方法が定着すれば、クライアントからの信頼もより高まるはずだよ」
叱りの締めくくりとして「ポジティブな未来像」を提示することで、部下は“責められた”ではなく “前進できる” と感じやすくなり、受け入れやすくなります。
DESC法が特に効果を発揮する場面
- 相手の気持ちを配慮しつつ、言いづらい指摘をする場面
- 人間関係を保ちながら、必要な行動改善を促したい場面
- 「強すぎず弱すぎず」の叱り方を求められる管理職の場面
- 感情的になりやすい状況で、冷静に言葉を選びたい場面
特に日本の職場では、人間関係を壊したくないという配慮が強い傾向にあるため、“丁寧に、しかし曖昧ではない” DESC法は非常に相性が良いと言えます。
SBIとの違いと使い分け
- SBI:短く・即時に修正指摘をする場面に強い
- DESC:丁寧さと主張を両立したい場面に強い
つまり、時間がない場面 → SBI/じっくり伝える場面 → DESC という使い分けが現実的で効果的です。
どちらも、前章の「ラディカル・キャンダー(優しさ × 率直さ)」や「自己決定理論(SDT)」「成長マインドセット」と整合性が高く、叱る場面を人が育つ場へ変える強力なフレームになります。
次は「関係が壊れない叱り方の土台を作る」心理的安全性へ
NVC・SBI・DESCという3つのフレームを理解すると、叱る行為を“技術としてコントロールできる”感覚が生まれます。しかし、これらの型を最大限に機能させるためには、日常のコミュニケーションで「心理的安全性」を確保することが不可欠 です。
次章では、叱る前の関係づくりとして「日頃の承認」「質問を歓迎する態度」「ミスを共有する姿勢」など、管理職がすぐに実践できる“安全性の土台づくり”について解説します。
心理的安全性を守りながら叱るための関係づくり
どれほど優れた叱り方のフレーム(NVC・SBI・DESC)を習得しても、日常の関係性が弱い状態では、叱りの言葉は役立ちません。部下は「言われた内容」よりも、「誰に・どんな関係値で言われたか」を強く受け取るためです。
ハーバード大学のエイミー・エドモンドソン教授が提唱した心理的安全性(Psychological Safety) の研究でも、人は「このチームでは率直に話しても大丈夫だ」と感じたときに、ミスを共有したり改善行動を取ったりしやすくなることが示されています。
つまり、叱る行為の成功確率は、叱る当日の言葉ではなく“日常の関係づくり”で決まる のです。ここでは、管理職が必ず押さえておきたい「関係性の土台づくり」のポイントを整理します。
承認には「褒めるほど大げさではない、小さな肯定」が含まれます。
例:
〇「資料のまとめ方、分かりやすかったよ」
〇「昨日の対応、助かった」
〇「気づいて動いてくれてありがとう」
人は「自分に関心を示してくれる人の言葉」を受け入れやすい傾向があります。これは心理学で“好意の返報性”とも呼ばれ、普段から小さな承認を受けている部下ほど、叱りの言葉に耳を傾けやすくなる 傾向があります。
部下が上司に相談できない背景には、「聞きにいくと怒られるかも」「迷惑だと思われるかも」という不安があります。これが蓄積すると、叱るべき場面でも部下は萎縮し、改善につながりません。
管理職として必要なのは、「質問は歓迎している」というスタンスを日常的に可視化すること です。
例:
〇「迷ったら早めに相談してくれていいからね」
〇「判断に迷ったら、5分で確認できるから遠慮しなくて大丈夫だよ」
この一言だけで、部下の心理的ハードルは大きく下がります。結果として、叱るべき事態が起きても、スムーズに対話へ移行できます。
心理的安全性を高める最も力のある行動のひとつは、管理職自身が弱さや失敗を適度に共有すること です。
例:
〇「実は自分も新人の頃、同じようなミスを何度もしたよ」
〇「昨日の会議、少し準備不足だったので今日は調整した」
リーダーが“完璧な存在”である必要はありません。むしろ、完璧に見える上司ほど、部下は萎縮しやすいと言われています。
心理的安全性は、長い1on1だけでは形成されません。むしろ、数十秒の短い対話を“日常的に積み重ねる”ほうが効果があります。
例:
〇「今日の進捗どう?」
〇「困っていることあれば一言で教えてね」
〇「昨日の件、ありがとうね」
短い対話は「つながりの貯金」になります。この貯金があるほど、叱る場面での言葉が「攻撃」ではなく「サポート」に聞こえます。
叱りの成否は、“叱る前の24時間”で決まる
管理職の中には「叱る時だけ気をつければいい」と考える方もいますが、現実には 日常で築いた信頼があるかどうか が結果を左右します。
- 承認があるか
- 質問を歓迎する姿勢があるか
- 雑談や短い対話があるか
- 上司自身の弱さを適度に見せているか
これらがすでに積み重なっていれば、叱っても関係は壊れず、むしろ信頼が深まる場合すらあります。逆に、日常の関係が薄いままでは、どれだけ正しいフレームを使っても「冷たく聞こえる」危険があります。
言い換えると、叱るコミュニケーションは、日常で準備される“関係づくりの延長”で成立するということです。
ここまでで、
- 叱る行為の再定義
- 正しい叱り方のフレーム(NVC・SBI・DESC)
- 叱りを成功させるための心理的安全性
という「叱るための必要要素」がそろいました。
次の章では、これらを「明日から即実践できる3ステップ」に整理し、実務の現場で迷わず使える形にしていきます。
明日から使える「叱れない管理職」脱却の3ステップ

ここまで、叱る行為が難しくなっている背景や、現代のマネジメントに必要な理論、そして具体的な伝え方のフレームを紹介してきました。しかし、知識が増えても「実際にどう動けばよいか」が明確になっていなければ、行動にはつながりません。特に管理職・人事・経営者が直面する現場では、状況判断や時間的制約が多く、複雑なフレームを毎回使いこなすのは現実的ではありません。
だからこそ重要なのは、どんな状況でも“まずはこれだけやれば、叱るべき場面で迷わない”という行動の型を持つことです。叱る行為は、事前の関係性や伝え方の構造に左右される部分もありますが、最終的には「適切なタイミングで、適切な目的で、必要なことを言う」ためのシンプルな行動習慣が欠かせません。
ここからは、今日からそのまま実践できる「叱れない管理職」脱却の3ステップを紹介します。特別な準備や高度な技法は必要ありません。むしろ、これまでの理論を“最小限で最大の効果が出る形”に凝縮した内容になっています。
ではまず最初に、叱りの前提となる 「目的の定義」 から見ていきましょう。
ステップ1:叱る目的を“成長支援”にセットし直す
叱る場面で最も大きなつまずきが生まれるのは、「叱る目的が曖昧なまま伝えようとしている」 という問題です。目的が曖昧だと、叱る行為はどうしても感情的になり、言葉が強くなったり、逆に弱すぎたりして適切なフィードバックになりません。
管理職がまず取り組むべきは、「叱るのは何のためか?」という目的を、“相手の成長支援”に明確に設定し直すこと です。
叱る目的が曖昧なときに起きる問題
目的が不明確だと、以下のような“ズレ”が発生します。
- 「自分のイライラをぶつけている」と受け取られる
- 「怒られるために言われている」と誤解される
- 部下が改善の方向性を理解できない
- 関係性が悪化し、相談や報告が減る
- チーム全体に不安が広がる
叱る目的を定義していないと、部下は「なぜ言われているのか」が理解できず、結果として改善行動が生まれません。
目的を“叱る”から“成長させる”へ変えるだけで印象が変わる
叱ることに慣れていない管理職の多くが、叱る行為を 「相手を正す」「間違いを排除する」 と捉えてしまいがちです。しかし、近年のマネジメント研究では、叱るとは“改善すれば成果が高まる部分を、一緒に明確にしていく行為” とされています。
部下が最も安心するのは、「上司は自分の成長に本気で向き合ってくれている」と確信できたときです。
例:
〇「君がもっと成果を出せるようになるタイミングだと思って、今のうちに改善点を伝えておきたい」
〇「今の仕事ぶりは良い点が多いからこそ、次のステップに向けてここを整理しておこう」
このように目的を明確化するだけで、叱りの印象は「攻められている」から 「サポートされている」 に変わります。
目的の明確化は管理職自身の迷いも消す
目的設定は、部下のためだけではありません。管理職自身の“迷い”を消す効果があります。
- 言うべきか?
- どこまで言うべきか?
- どの表現なら伝わりやすいか?
こうした迷いは、目的が明確でないから生まれます。目的が“成長支援”であれば、「部下の未来を良くするために必要なことだけを伝える」という軸が生まれ、感情と指導を切り分けやすくなります。
結果として、
- 言葉が安定する
- 不必要な怒りが消える
- 指摘のトーンが落ち着く
- 部下が安心して受け止められる
という良い循環が始まります。
「成長支援の目的設定」は全てのフレームの前提になる
NVC・SBI・DESC などの実践フレームは、どれも “成長を支える目的設定” を前提に作られています。目的設定があいまいなままだと、どれだけ優れたフレームを使っても「綺麗な言い回し」にしか見えず、部下の行動には結びつきません。
逆に、目的さえ定まっていれば、伝え方に多少の揺らぎがあっても、部下は「自分のために言ってくれた」と受け止めやすくなります。
では、目的を設定したうえで何をすべきか?
目的が固まったら、次に必要なのは “事実の整理” と “言葉の準備” です。ここが整っていると、叱る場面で感情に引っ張られず、必要なことだけを伝えることができます。
次の節では、叱る準備として欠かせないステップ2:言うべき事実をメモ化し、言葉を準備するについて解説します。
ステップ2:言うべき事実をメモ化し、言葉を準備する
叱る場面で失敗が起こる最大の原因のひとつに、「その場の感情で話してしまう」 ことがあります。上司自身も冷静でいたいと思っていても、突発的な行動やミスに接すると、どうしても感情が先に立ってしまいます。
これを防ぐためのもっとも効果的な方法が、“事実をメモ化し、言葉を事前に準備する” というシンプルなステップです。
事実をメモ化するだけで「感情の混入」が一気に減る
叱る際に必要なのは、「事実(Fact)」と「解釈・感情(Emotion)」を切り分けること です。しかし、人間は感情が動いている状態では、この2つを無意識に混ぜてしまいやすいと言われています。
そこでおすすめなのが、“事実だけを2〜3行の箇条書きにする習慣” です。
例:
- 4/10のオンライン会議で開始時間に2分遅刻
- 質問への回答が5秒ほど詰まった
- 顧客の表情が一瞬曇ったように見えた
これだけで、叱るための“素材”が整い、冷静に伝えるベースが作れます。ポイントは、メモ化するのは「責めたい事実」ではなく、変えられる行動に関わる事実です。
「言葉の準備」は“伝え方の質”を大きく左右する
叱る言葉は、その場で考えるよりも、一度メモ上で“丁寧に下書きする”ことが驚くほど効果的 です。例えば……
下書き前
「最近ちょっと雑になってきてるよ」(抽象的・伝わらない・根拠がない)
下書き後
「昨日の資料で、ページ3の数字が前回の更新前データになっていたよ。このチームでは“数値の正確性”を特に大切にしているから、提出前に必ずダブルチェックしてほしい。」
この差は「明確さ」「再現性」「相手の受け止めやすさ」に直結します。
フレーム(SBI / DESC / NVC)のテンプレを“穴埋め”に使う
事実と言葉を準備するとき、先ほど紹介したフレームを 「テンプレの穴埋め」 として活用すると、圧倒的に簡単に整理できます。
例:SBIを使った穴埋め
- 【Situation】いつ? → ______
- 【Behavior】何があった? → ______
- 【Impact】どんな影響? → ______
例:DESCを使った穴埋め
- Describe:事実は? → ______
- Express:どう感じた? → ______
- Specify:何をしてほしい? → ______
- Consequences:どう変わる? → ______
叱るために文章を書く必要はありません。必要な観点を1つずつ埋めるだけで、自然と筋道の通った指導 になります。
準備があると「トーン」が落ち着く
叱る場面で成功するかどうかは、内容よりも 「トーン(口調・雰囲気)」 に大きく左右されます。準備ができている状態では、
- 声の抑揚が安定する
- 話すスピードが落ち着く
- 言葉に迷わず伝えられる
- 部下からの反応に冷静に向き合える
という効果があり、叱る行為が“感情のぶつけ合い”ではなく “建設的な対話” に変わります。これは心理的安全性(前章)とも密接に関係しており、準備された叱り方は、部下に「自分を尊重して伝えてくれている」という印象を与えます。
準備のコストは思っている以上に低い
「そんな余裕はない」という声もありますが、準備とは 2〜3分のメモ書きで十分 です。管理職の仕事は、“言うべきときに言うこと” です。
たった数分の準備で全てがスムーズになるのであれば、その投資は極めて効果的です。
ステップ3:「期待」と「支援」をセットで渡す
叱る行為で最も誤解されているのは、「問題点を指摘したら、叱りは終わり」という考え方です。実際には、叱る行為の本当の価値は “締めくくりの一言” にあります。
ここで何を伝えるかによって、
- 部下の心理状態
- 関係性
- 改善行動の継続
が大きく変わるためです。叱りの締めに必要なのは、「期待」と「支援」をセットで渡すこと。この2つを同時に伝えられる管理職は、部下からの信頼が高く、チーム全体の成果にも好影響を与えると数多くの研究で示されています。
期待(Expectations)を伝えることが“未来志向”を生む
叱られる側が最も傷つくのは、「自分は期待されていないのでは?」という不安 です。改善点だけ伝えると、どうしても「できていない部分だけを見られている」と受け止められがちで、部下のモチベーションは低下します。
だからこそ、叱りの最後に必ず “期待” を言語化する必要があります。
例:
- 「今回の案件、君ならもっと良い成果を出せると思っているよ」
- 「この改善ができれば、次のステップに確実に進めるはずだよ」
- 「あなたに任せたい理由がちゃんとある。だから今ここだけ整えよう」
期待を伝えることで、叱る行為が“過去の否定”ではなく“未来への投資”として受け取られます。
支援(Support)を約束することで「一人ではない」と伝える
叱りが嫌われるのは、「これからは自分だけでなんとかしろ」というメッセージに聞こえてしまうからです。逆に、叱った直後“必要であればサポートする意思を明確に伝えるリーダーは、部下の信頼を圧倒的に得やすくなります。
例:
- 「もし迷ったらいつでも相談していいからね」
- 「次の案件は最初の段取りを一緒に確認しよう」
- 「必要だったら、僕の方でテンプレを渡すよ」
この一言だけで部下は、「上司は自分を見放していない」「一緒に改善していく姿勢がある」と安心し、改善行動の継続率が大幅に高まります。
「期待+支援」は心理的安全性を最大化する
前章で触れた心理的安全性(Amy Edmondson)にも通じますが、叱りの後こそ “安全性の再構築” が必要なタイミング です。叱った直後は、部下がミスを認識している状態のため、心理的に不安定になりやすく、関係性が揺らぎやすい瞬間でもあります。
ここで「期待」と「支援」をセットで示すと——
- 関係が壊れない
- 次も相談しやすい
- 改善行動を続けられる
- 上司に対する信頼がむしろ高まる
というポジティブなスパイラルが生まれます。これは実務の現場で何度も確認されている重要なポイントです。
叱りの終わり方を変えるだけで、部下の行動は驚くほど変わる
叱りの締めが「頼むよ、しっかりして」「次は気をつけて」などの曖昧な言葉で終わると、部下は“不安のまま”になります。これでは改善行動が続かず、叱る行為も無駄になってしまいます。
一方で、「期待しているよ。次はこの方法で一緒に整えていこう」と締めるだけで、部下は 安心しながら改善に取り組める状態 になります。叱る技術よりも、この最後の一言が、実は最も組織の成果に影響します。
ここまでのステップを整理すると、
- 目的を成長支援にセットし直す
- 事実をメモ化し、伝える言葉を準備する
- 最後に「期待」と「支援」を必ずセットで伝える
この3つを押さえるだけで、叱りの質は劇的に変化します。どれも複雑なスキルではなく、今日からできる行動 であることがポイントです。
まとめ 〜「叱れない管理職」から脱却し、成長を生むコミュニケーションへ〜

現代の職場では、「部下を叱れない管理職」が増えていることが各種調査や現場の声から明らかになっています。背景には、パワハラへの社会的な感度の高まり、対立回避の心理、コミュニケーションへの不安、そして“叱る=関係が壊れる”という固定観念が根強く影響しています。しかし、叱れない状態が続けば、部下の成長は鈍り、チームの成果にも確実に負荷がかかります。
本稿で解説したように、叱るという行為は「怒る」でも「甘やかす」でもありません。ラディカル・キャンダーが示す“優しさ × 率直さ”、自己決定理論(SDT)が示す“自律性・有能感・関係性”、成長マインドセットが示す“行動とプロセスへの着目”など、多くの理論が共通して伝えているのは、叱るとは部下の成長を支えるためのコミュニケーションである という事実です。
さらに、NVC・SBIモデル・DESCという具体的なフレームは、感情に引っ張られず、構造的にメッセージを伝えるための強力なツールになります。そして何より、心理的安全性を日常からつくり、最後に「期待」と「支援」をセットで伝えることで、叱る場面は“関係が揺らぐ瞬間”ではなく“信頼が深まる瞬間”へと変わります。
叱れない管理職から脱却するために必要なのは、特別な才能ではありません。必要なのは、
- 目的を「成長支援」にセットすること
- 事実を整理し、言葉を準備すること
- 期待と支援をセットで伝えること
という、誰でも再現できる3つのステップだけです。
叱るコミュニケーションを恐れず、構造的に、丁寧に、そして未来志向で活用できる管理職は、チームの成長スピードとエンゲージメントを飛躍的に高めていきます。今日から一歩ずつ、あなたの組織の中に「伝わる叱り方」の文化を根づかせていきましょう。

